とあるお方のリクエストで出来た今作!
ちなみにエロシーンは第二話から!
本編は【続きを読む】から!
標高840メートル、今私がいる山の高さである。
県内でもそこそこ大きいこの山は、殆どが私有地の為、部外者の立ち入りは基本的に許されていない。
山の名は銀雪山、冬になると雪に埋もれることが由来らしい。
しかしそれも今や昔の話、少なくとも私はこの山が雪で埋もれたところなんて見たことない。
要するに今ではただの名前負けだ。
そんなちょっぴり残念な山の大部分を占める施設、それが私の通う学園、ネージュアルジャンテ女学院だ。
小中高一貫教育で完全寮制の女子校in山。
うん、今初等部入学前に戻れたなら、私がここを選ぶことはないだろう。
しかしそれも叶わぬ夢、というか悪いのは全部私。
だってここがいいって言ったの私だし……。
仕方ない、パンフレットが凄かったんだもん。
お城みたいに綺麗な校舎、山一面が学園という広大な敷地、そしてあまりにも可愛い制服。
当時の私からしたら、ここはお姫様が通う場所に思えたのだ。
だってネージュアルジャンテだよ?
意味分かんなかったけど、なんかお姫様っぽいでしょ?
まぁ実際はフランス語で、銀色の雪ってだけのことなんだけど……。
しかも別にウチの学園フランス関係ないし。
って、さっきから愚痴ばっか言ってるけど、別に本気で嫌なわけじゃないんだよ?
学園自体は好きだし、この山だって好きだ。
生活も上手くいってるし、勉強だって嫌じゃない。
ただね?ただ……。
9年もこんな山の中にいたら、そりゃあ飽きるでしょうが!
じゃあ休みの日に山を降りて遊べばいい?
私も初めはそう思ったわよ。
でもね?学園の敷地から出るには許可がいるし、申請は一週間前の提出が必須。
しかも申請には明確な目的とタイムテーブル、寮長の許可印が必要で、全て揃った後に保護者に連絡して許可が出れば認可されるという……。
やってられるかぁー!
しかも全部出来ても、歩いてこの山を登り降りするのがどれだけ過酷か……。
要するにこの山を降りられるのは家族が迎えに来るか、学園行事やその準備の為だけ。
まぁ病院への通院とかなら話は別だろうけど……。
なんにせよ、私用で気軽に降りることなど無理なのだ。
そう、無理……だった。
昔の私ならね!
この事実に気付いたのが初等部4年の時、そしてあれから6年近くの月日が流れた。
そして高等部に上がった私は今、全ての必要条件を満たしたのである。
なんのって?
それはもちろん……この山を気付かれずに降りて、街で遊ぶのに必要な条件である。
条件その一、境界突破。
学園の敷地は全て塀で囲まれている。
出入口は多数あるが、その全てに守衛さんがいる。
そこで私は探した。
塀が崩れたり、実は上れたりするような場所が無いか……。
塀の高さは私の身長の倍以上、レンガ造りだが足掛かりにはなりそうもない。
欠損などは定期的に見て回るから、いつまでも放置されている可能性は薄い。
塀の近くに建物や木があることは無いので、どこかから飛び移ることも出来ない。
じゃあ無理だって?
ふっ、私の6年間を甘く見ないでほしい。
諸君は鉤縄を知っているだろうか?
鉤縄とは忍者七つ道具の一つ、縄の先に鉄鉤が付いている道具で、主に足掛かりの無い塀などを上る際に使われるという……。
構想に1年、制作に2年、修行に3年、技が完成したのはついこの間である。
執念……それは時に人を強くするものなのだ。
つまり第一の条件はクリア。
そして条件その二、銀雪登山。
この山を降りないことには始まらない。
しかしこの山、普通に歩いて降りると2時間掛かるらしい。
ちなみに登りを含めると5時間は掛かると言う。
……遊んでる時間も体力もない。
そこで諦める?
だからお前はニートなんだ!
私がまずやったのは陸上部への入部である。
初等部から6年、今の私は陸上部期待の星である。
もちろん種目は長距離。
しかも練習は起伏の激しい山道での走り込み。
もうお分かりだろうか?
今の私なら、街に行って帰るのに2時間も掛からない!
本気のアスリート舐めんな!
てことでこれもクリア。
そして最後の難関……。
条件その三、学園不在の隠蔽。
街で遊ぶ時間も考えると、少なくとも5時間は欲しい。
休日なら別に無茶な時間でもないが、それは普通の生徒ならだ。
そして私は……どうやら普通の生徒ではない。
なんか知らんがしょっちゅう人が訪ねてくるのだ……。
「マモちゃーん!いるー!?」
ほら、こんな風にだ。
自室に籠って作戦会議中の私を邪魔しやがって……。
休日とはいえ今はまだ朝の9時だぞ?
朝食終わってすぐだぞ?
お腹パンパンだぞ?
クソッ……。
「んん?いるけど?なんだぁ?」
「入っていい?」
「要件を言え」
「抱っこして撫でたい」
「帰れ」
「お願いー!45分コースでいいからぁ!」
「二秒でも断る」
「私の初めてあげるからぁー!」
「いらん、てかキモい」
「キモいとか言うなぁー!うわぁーん!」
行ったか……。
ちなみにあれはクラスメイトAだ。
私のクラスメイトは全員あれと同じ種族である。
そして後輩は……。
「マモちゃん先輩!マモちゃん先輩!」
「五月蠅い……てか勝手に開けるな……」
「わぁ!ぬいぐるみ並べてる!可愛い!」
「今私は作戦会議中だ、出て行け」
「今日はマモちゃん先輩と遊ぶ日ですよ?」
「ですよ?じゃねーよ、聞いてねーよ」
「私と遊ぶの……嫌ですか?」
「そんな顔すりゃ私が相手するとでも……」
「じゃあ仕方ない……」
「まず縄をしまえ」
「私、本当に遊びに来ただけだったんですよ?なのに……」
「今は違うみたいな言い方すんな」
「今日は忘れられない日になりそうです」
「はい退場」
「ううう!マモちゃん先輩の意地悪ー!」
不穏な後輩を部屋から追い出して扉を閉める。
私の後輩は全員あれと同じ種族である。
しかも先輩が……。
「マモっ!セックスしよ!」
「自重しろ」
「あぁ!?先輩に対してなんだ!?その態度は!」
「次人に説教する時は、ネグリジェ以外でお願いします」
「お前どこ見てんだよぉー!エッチだなぁ!なんとノーブラだぞ!?」
「みりゃ分かるから言ってんだよ」
「泣きたい時は……いつでも私の胸に飛び込んでいいんだぞ?」
「そん時考えますわ」
「いつでも飛び込んでいいぞ?吸っていいぞ?ミルク出るかもよ?」
「出ねーよ、保健体育勉強し直せよ」
「今日のパンツ何色?」
「お前今私が叫んだらアウトだからな?」
「私はそれより大きな笑い声で圧倒する」
「その格好で急に大爆笑とか不審者極まりないな」
「あ、なんだよ!押すなって!」
「出てけ変態」
「マモー!冗談だってば!襲わないからお話ししようよー!襲わ……ない……うん、多分……」
出来れば忘れてしまいたいが、あれは一応部活の先輩だ。
私の先輩は全員あれと同じ種族である。
しかしせめて教員だけでも……。
「鶴ケ谷さん、騒がしいですよ」
「あ、すいません……私のせいじゃないけど……」
赤い眼鏡に黒いスーツ姿の教員がやって来た。
しかし……。
「なんで先生がここにいるんですか?」
今日は休日、寮に先生が来る用事なんて……。
「話をそらすんじゃありません、本当に……悪い子ね……」
眼鏡の奥の目が怪しく光る。
「そんな悪い子にはお仕置きが必要……」
バンッ!
「開けてー!開ーけーてーよー!ねぇ!鶴ケ谷さん!たまには先生とも遊んでくれてもいいじゃない!休みの日でも会いたいじゃない!そしてずっと一緒にいたいじゃない!そうだ!結婚しましょう!」
私はよく人間不信にならずに育ったものだ。
これが大人の、そして聖職者の姿なのか。
私の担当教員は全員あれと同じ種族である。
……やっぱ来る学校間違えた。
高校からは外部受けたらよかった。
あいつら寄って集って人のこと玩具にして遊ぶのだ。
やれ小さくて可愛いだの、髪がフワフワで狂おしいだの。
妹にしたいとか、初等部でもこんな可愛い子いないだとか。
馬鹿にすんなぁー!
全部コンプレックスなんだよバァーカ!
どうせ私はチビですよ!
140cmもまだまだ夢の世界だよ!
そしてこの髪はセットじゃねぇー!
天パだボケェー!
気にしてんだからほっとけぇー!
雨の日のウールっぷり舐めんなぁー!
あとなぁ!
後輩の癖に妹にしたいとか言うなぁー!
てか初等部と比べるなぁー!
もおおおおおおぉ!
「グスっ……」
「鼻水出てる」
隣のベッドから手が伸びてきて、ティッシュが差し出される。
「ありがと……」
「泣いてる?」
「泣いてないし……」
「あっそ」
さっきから全てを無視して本を読み続けているやつ。
私と同室の高杉だ。
実はこいつから話しかけてくるのは珍しい。
「高杉……例のやつ、今日やるんだけど……」
「いいよ、報酬は……」
「ちゃんと買ってくる……」
こいつの存在が最後のピースを埋めた。
頻繁にやってくる来訪者たちは、私が部屋からいないとすぐに学園中を探し回り、それでも見つからないと大騒ぎし始めるのだ。
5時間も見つからなかったら、根掘り葉掘り追及されるだろう。
どこに行っていたのかと……。
完璧にこなさなくてはいけないのだ。
少しの疑惑さえも持たせてはいけない。
だってこれは一回きりの作戦ではない。
ちゃんと行きたい時に街へ行けなければ意味が無いのだ。
当時の私は一人部屋だった。
理由は簡単、襲われるから。
しかし一人部屋は拙い。
同室者がいれば、あたかも部屋にいるかの様に演技して貰うことも出来るが、私にはそれを頼める同室者がいない。
友人に頼んで部屋にいてもらうことも考えたが、恐らくその隙に下着等使用不能にされるだろう。
そんなことを考えていた時、私は高杉と出会った。
普段はいかない図書室の、更に奥の方。
時間が止まったかのように静かな空間に、彼女は独り座って本を読んでいた。
その姿がまるで絵画のようで、私は気付いたら彼女に話しかけていた。
そこで分かったことは一つ、高杉曰く「私は三次元には興味ない」。
正直意味はよく分からなかったが、こいつが他の奴と違うことは分かった。
私を変に可愛がらないし、馴れ馴れしく引っ付いてきたりしない。
その日の内に作戦を打ち明け、同室になってくれるよう頼んだのだ。
そして新作の本をいくつか買って帰ることを条件に、私は念願の協力者を得ることになったのだ。
これで全ての条件は揃った。
新学年、高等部になって初めての休日。
ここからが私の青春のスタートである!
「しゅっ!」
手際よく鉤縄を引っ掛け、塀によじ上る。
そこから逆側に鉤縄を付け替え、縄を伝って降りていく。
鉤縄は邪魔になるので近くの穴に埋める。
この穴は事前に掘っておいたもので、蓋を被せて土を掛けるだけで見えなくなる。
「たまに……産まれる時代を間違えたと思う時がある……」
あまりの自分の手際の良さに感嘆しながら走り出す。
未だに初等部並みに短い足。
どう考えても陸上には向いていないと何度も言われた。
それでもいっぱい練習して、誰よりも速くなったんだ。
短い足では短距離で勝てない、でもこの軽い身体は長距離なら武器になる。
そしてこの山でなら……私は風になれる!
「うぎっ」
たまには……こけるけど……。
「はぁ、はぁ……」
街まで53分、予定より少し速かったかな。
登りは全力で走れるからもっと速いだろうしね。
汗を掻いてしまったので、持って来ていた替えの服に着替えたい。
まずはコンビニに行ってトイレでも借りるか……。
「うふっ」
自然と笑みがこぼれる。
なぜって私今からコンビに行くんだよ?
しかもトイレ借りる為に!
それだけに!
超今風じゃない!?
学園の奴らなんて、せいぜい休憩の為に切り株に座るぐらいのもんだよ!
原始でも出来るわ!
いや、原始って木は切らないから切り株は……。
あっ!どうでもいい!
「いらっさーせー」
「あ、はい……」
返事は……いらなかったか。
部活の試合とかで使ったことあるけど、その時は皆一緒だったからなぁ……。
ちょっと一人じゃ心細い。
私はキョロキョロ店を見渡して、トイレを探す。
あ、あれか……。
ん?
ご利用の際は店員に一声お掛け下さい……。
じ、地味に恥ずかしい……。
てか店員男じゃん?
じゃあ……無理だ。
別に着替えなくても死なないし、とりあえずこのままでいっか。
その後も新鮮な体験のオンパレードだった。
図書室では見たことない漫画が大量に置いてある本屋さん。
夢のテーマパーク、百円ショップ。
タイムスリップしたのかと見まごう程のゲームセンター。
その全てが楽しくて……。
「お財布空っぽだよぉ……」
こんなに散財したのは産まれて初めてだ。
まぁ、高杉に頼まれてた本は高杉のお金でもう買ったし、持ってきてた3千円はヘソクリのごく一部だしいいんだけどね。
そしてこれが最後の百円……。
「やるぜ……やってやるぜ……」
私はとある店の前で仁王立ちし、震える足を一歩ずつ前に進める。
今回の冒険の最大の目標、それがここでとある物を注文することだ。
そもそも一人で買い物に来るなんて初めての経験。
長期休暇で家に帰っても、どこか行くのはママと一緒だし。
それがなんと今日、私は入るのだ!
マグノガルドに!
「いらっしゃいませ!」
「……ひあ」
ビ、ビビッてねーし。
てか店員女の子でよかったぁ……。
「お召し上がりですか?」
「……ふみゅ」
え?なになに?どういう意味?
「あの……お客様?お召し上がりですか?」
いや、そりゃ食べるよ?
てか逆に、ハンバーガーをお召し上がる以外の使い方を教えてくれよ。
「は、恥ずかしながら……」
「ぷっ!……お召し上がり……ふふっ!ですね?」
「はひ……」
笑いを堪えている!?
なぜだ!?
「ふぅ……では注文をどうぞ」
今更落ち着いても遅いよ?
あのスマイル0円ってそういう意味か?おい?
「あの……こ、これ……」
「ハンバーガーですね?セットと単品がございますが?」
「ひ、ひとちゅ……」
「た、たんぴ……ふひっ!単品ですね?」
「……うん」
こいつ完璧に馬鹿にしてやがる!?
ぐぬぅ……しかし地の利は相手にあるのだ。
ここは我慢だ。
「お待たせしました」
早やっ!
待ってねーよ!?
私は百円を払い、記念のレシートと一緒にトレイを……。
トレイ!?
なぜだ!?なぜトレイに乗っている!?
ここで……食えと言うのか!?
しかし席はどこに?
あ、階段……。
どうやらあの上が席になっているようだ。
こうなったら……やってやる!
恐る恐る階段を上り、客席を見渡す。
幸いあまり人はいないようだ。
私はせっかくなので窓側の席にトレイを置き、チョコンと椅子に座る。
あ、ここから銀雪山が見える……。
あそこから来たんだよね……。
こうやって見ると綺麗だな。
自分のホームグラウンドが視界に入ったからか、少し余裕が出てきた。
私はさっき百円ショップで買った商品などを見ながら、まったりとした時間を過ごす。
さて、でもあんまりゆっくりもしてられない。
ハンバーガー冷めちゃうし。
私はまだ辛うじて温かいそれを手に取り、包装を少し捲って中を取り出す。
「いただきます……はむ」
おいおい、なんだこれは……。
安っぽいケチャップの味が口に広がり、その後で薄い肉の甘味がやってくる。
レタスなんかが入っているかと思えばそうではない、このコリコリしたのは……ピクルスか?
こいつは……。
「死ぬほど美味いやないかーい!」
はっ!
遂叫んでしまった!
顔を赤くして辺りを見渡すが、どうやら私以外の客は全員帰ったようだ。
セーフだ。
「美味しい、美味しいよう……」
まるで一週間飲まず食わずだったかのようにガッつくと、あっという間にハンバーガーは胃の中に入ってしまった。
「絶対次も来る、ごちそうさまでした」
私は絶対の決意と共に食事を終え、またまったりモードに突入した。
と、思われたが……。
階段の方から足音がする。
……あぅ。
男の人だ。
お父さんより年が上かも。
頭が禿げててお腹も出てる。
なんか汚い……。
実は私……男性恐怖症なのだ。
幼いころから閉鎖された女子校に通う内に、男性との接点を全く持たなくなっていた。
多感な時期の私にとって、男性とはたまに見るテレビや本の中の生き物だった。
もちろんパパとは普通に話すし、男性が目に入っただけで死ぬわけではない。
でも近づかれるとちょっと……。
だって皆言っている。
男は汚いとか、怖いとか、臭いとか、危ないとか……。
いや、私だって分かっている。
どうせ皆がそう言っているのは、私を女性好きにさせるための作戦だって。
男の人は怖い人ばっかりじゃないって。
でも……生理的に受け付けないのだ。
「よいしょ」
「うひゅ!」
「ん?」
と、隣に座ったぁ!?
こんなに席空いてるのに!?
うわぁ、じっとこっち見てる……。
しかも本当にちょっと臭い……。
「き、君、一人なの?」
「ぁ……ぅぅ……」
もう無理!
でも足がすくんで立てない……。
「君可愛いねぇ?この辺の子?年は?」
「ぅ……」
なんで話しかけてくるの!?
窓際の席は窓に向かって一人席が並んでいる。
その隣なので距離的にもかなり近い。
手を軽く伸ばせば届いてしまう距離だ。
「クンクン……汗掻いてるね?いい匂いだ」
「うぅ……」
涙が流れてきた。
怖いよ……誰か助けて……パパ……ママ……。
「か、髪も……綺麗だね……ちょっとだけ……ちょっとだけ触ってもいい?」
最早声も出ない。
この人には私の涙が見えていないのだろうか。
それとも分かっていてやっているのだろうか。
男の手が近づいてくるのが分かる。
大きな声を出さなきゃ……。
でも……身体が言うことを聞かない……。
「はぁ、はぁ……」
男の息遣いが耳元で聞こえる。
うそ……顔も近づいてる?
その時、突然若い男の人の声が聞こえた。
「おいおっさん、なにやってんだ?」
恐る恐る顔を上げると、いつの間にかいたその人は、隣の男の手を掴んでいる。
「あぁ!いやいや!この子が泣いてるからね!?どうしたのかなって!ね!?そうだよね!?」
「君、大丈夫?」
「うぅ……」
震える口を無理矢理動かし、精いっぱいの声を出す。
「あっ!もうこんな時間か!?行かなきゃ!ははっ!」
隣の男は急いで席を立ち、足早に階段を駆け下りていった。
「危なかった……のかな?」
「あぅ……うううう!うわああああん!」
今の私はどうかしている。
緊張と恐怖が一気に緩和され、安心したと同時に涙が更に溢れ出てしまった。
それだけならいいが……。
私の身体は勝手に動き、助けてくれた男の人にしっかりと抱き付いている。
少しビックリした様子のその人は、しばらくして頭をゆっくり撫でてくれた。
それが妙に心地よくて、暖かくて……。
気付けば私は、男の人のシャツを涙と鼻水と涎でビショビショに濡らしていた。
「あの、ごめんなさい……」
「ははっ!いいって!落ち着いてよかった!」
短く切った黒髪と、爽やかな笑顔。
さっきの人とは全然違う、というか……格好いい……かも……。
「服、弁償します」
「こんなの洗ったらすぐだって」
吊り橋効果と言うか、なんというか……。
私の男性恐怖症がなぜか効かないこの人に、私は今恋をしようとしているのではないだろうか?
「でも……」
「君みたいな小さい子からお金なんか取れないよ、はははっ!」
「……あぁ?」
「んん?」
「今なんて言った?」
小さい子?
お金なんか取れない?
「いや、俺もこう見えて大人だし……子供からお金は貰えないというか……」
「あのさ、私何歳に見える?」
それは禁断の質問。
鬱陶しいランキング上位を常にキープする攻撃呪文。
トラップ系のこの魔法は、女性が冷たい笑いをしながら言った時、効果が倍増するという。
「えっと……9……いやいや、10?11?」
姑息にも顔色を窺いながらカウントアップしていく男に対し、常に同じ笑顔のまま固まっている私。
「もしかして……中学生?」
「私は今年で16歳じゃああああ!」
ドンっ!と音が鳴るぐらい机を叩く。
「うっそ!?高校生!?マジで!?」
「五月蠅い五月蠅い!100万回聞いたわ!この数日で100万回聞いたわあああ!」
さっきとは違った意味で涙が出そうだ。
私、こいつ嫌い……。
「まぁ、でもどっちにしろ学生からお金は取れません」
「うぅ!子供じゃないもん!私ももう大人だもん!」
「なに?この可愛い生き物……」
「うううう!ウリウリするなぁ!」
頭グシャッてしてウリウリしてくる……。
あぅ、なにこれ……超嬉しいんですけど!?
「君この辺の子なの?見たことないけど……」
「あそこから来た」
「え?山の妖精?」
「そうそうそう、あぁ、最近自然が減ってきて困るわぁ……ほんま……困るわぁ……って、私人間ですねん」
「今の時間なんだったの!?」
しっかりとした突っ込み……図らずとも高得点やないかい。
「ネージェアルジャンテ女学院から来たの」
「え?あそこって外出駄目なんじゃないの?」
「なんで知ってるの?お兄さんもロリコンさん?」
「知り合いがいるんです!」
「女子校に知り合い?怪しい……」
「その子のことはいいだろ!?で?君はここでなにしてるのかな?」
「うっ……その、あの……」
駄目だ、このまま見つめられてたら……。
火照り死ぬ。
「はははっ!なにそれ!?忍者の末裔なの!?」
「笑うなぁ!私の6年を笑うなぁ!」
「ごめんごめん、でもそれじゃあ、この後また走って登らなきゃなんだ?」
「うん、そう……って!?今何時!?」
「16時だね?」
「ええええ!?」
やばい、予定ならすでに帰ってる時間だ!
「私!帰らなきゃ!」
「今からじゃ遅くなるんじゃない?」
「そんなこと言ってる場合じゃ!もう!私行くから!」
あぁ、この人ともこれでお別れか……。
また、会えるよね?
「待って?これなーんだ?」
「……鍵?」
「そう、車の鍵」
欲張りな私は、きっと今の胸のトキメキをまた求めるだろう。
不思議とすぐに、そう思った……。
「知らない人の車に乗ったら駄目って習った」
「じゃあ降りる?」
「山の中で女の子を降ろすとか死に値する」
「はいはい、ちゃんと送らせてもらいますよ?」
帰りの車の中、私たちは下らないやり取りを繰り返した。
それが妙に楽しくて、この人の声が……心地よくて……。
「ここでいい」
「おう」
着いちゃった……。
あれからまだ15分しか経ってない。
凄くいっぱい話した気がするのに、思い返せば短かった気もする。
「あの……また、会えるかな……」
人生の中で、これほど勇気を出したことがあるだろうか。
これほど勇気を必要とする言葉があっただろうか。
「君の名前は……」
名前、そうか……まだお互い名乗ってもなかった。
「私は……」
「マモ……」
「え!?」
なんで?なんで知ってるの?
「マモじゃ……駄目?」
「ふ、ふえ?どういう意味?」
「君のこと、マモって呼んでもいい?って意味」
「いや、だから……」
「本名は言わないで?俺はマモって呼びたい」
もしかして……偶然?
「なんで……マモなの?」
「うぅーん、おまじない、かな?」
「おまじない?なにそれ?」
「それより!俺のことはなんて呼びたい?」
「え?いや、名前教えてよ」
「嫌だ!」
「なぜだ!?」
「さぁさ、好きに呼んじゃって?」
「じゃ、じゃあ……」
その時、腕時計が不意に目に入る。
「うわぁ!やっば!半になっちゃう!」
「あ、時間無いの?」
「こっから寮まで距離あるし!もう行かなきゃ!」
私は急いで鉤縄を取り出す。
「ぶふっ!本当に持ってるし!」
「もう!笑わないでってば!」
私は急いで塀に向かう。
そして鉤縄を……。
「よっこいしょ」
「ふえええ!?」
「手、届くんじゃない?」
「なになになに!?」
私の身体が宙に浮く。
それはきっと今、抱え上げられているからで……。
「ほら、時間無いんでしょ?」
「う、うん……」
私は赤い顔が見えないことを祈りながら、鉤縄を中に投げ入れる。
そして手を伸ばして塀に上り、後ろにいるだろうその人に話しかける。
「ま、またね……お兄ちゃん……」
「お、おう……」
い、言っちゃった……。
だって好きに呼べって!
私は照れ隠しにそのまま塀から飛び降りる。
「マモ!」
「な、なに……」
「これ!」
向こう側から紙が投げ入れられる。
クシャッと丸められたそれを拾って広げると、これは……電話番号?
「夜ならいつでも取れるけど、それ以外なら土日かな」
今日の私の涙腺はおかしくなっている。
だってこんなことぐらいで涙が止まらない。
「電話していいの?」
「あれ?してくれないの?」
「す!する!ちゃんとするから!」
「そっか……ほら!走れ!自慢の忍術で!遅刻するぞ!?」
「いや!走るのは忍術じゃないから!」
「……じゃあ、またな?」
「うん、またね?」
塀に阻まれてもう顔は見えないが、今私たちは見つめ合っていると確信できる。
だってこんなに胸がドキドキするんだから……。
「ってことがあったの!」
「事実は小説より奇なり……とでも言いたいのか?」
私は帰るなり、百円ショップで買った可愛い小物を並べながら、高杉に事の成り行きを説明していた。
「いいこと言うねぇ?そうそう、高杉も本ばっか読んでないでさ?たまには小説よりエキサイティングな現実を楽しんでみたまえよ!」
「五月蠅い、早く頼んでた本寄越せ。お前のベタな恋愛なんかより、よっぽど刺激的な世界がそこにはあるんだから」
「うぅ!高杉に話した私が馬鹿だった!」
「そうですか、って……これじゃねええよおおおお!」
「え?だって……あ、本当だ。てへ?」
「お前!私がどれだけ必死にこの扉を守り抜いたか分かってんのか!?」
「そういえばどうやったの?私がいるように思わせてくれてたんだよね?」
「そこの扉にお前が寝てるから五月蠅くするなって書いて貼った」
「それだけ!?それだけで静かになるの!?」
「それでも入ろうとした奴には、私がザキの呪文を唱えておいた」
「なんて言ったの?」
「聞いたらお前も死ぬが?」
「じゃあ止めときます……」
「そんなことより、金はお前持ちな?」
「マジで?」
「マジで」
「そんなぁー!」
1200円は痛い出費だが、今の私は無敵モードにご機嫌なので良しとするのである。
あれから半年が経った。
毎週日曜日は街に出てお兄ちゃんと遊ぶ日になっていた。
学園の皆には、勉強したいから日曜日は本当に邪魔するなと厳命し、不在隠蔽術に磨きがかかった。
しかし本格的に寒くなってきて厚着になった分、鉤縄の動作が地味にきつい。
でも学園まで車で送迎してくれるようになったのは最大の功績だ。
全てが順調すぎて怖いぐらい。
今日もいつものようにお兄ちゃんの車に乗ってドライブ。
色んな所に連れて行って貰ったが、一番のお気に入りはやっぱりあのマグノガルドだ。
お兄ちゃんに出会った場所だからね。
「あのさぁ……毎週ハンバーガー喰ってたら太るぞ?」
「私太らない体質だから」
「俺は太るんだが……」
「お腹出たら嫌だからね?」
「嫌って言われましても……」
なんかこういう会話してたら、本当に恋人になったみたい。
まぁお兄ちゃんは私に興味なんか無いんだろうけどね……。
どうやったら大人っぽくなれるのかなぁ……。
「そういえば、来週の日曜なんだけど……」
「あ、その日私無理になったの……」
「え?なんで?」
「教えません」
嫌なこと思い出させやがって。
その日は何故かパパに呼ばれてるのだ。
もうすぐ誕生日だし、その関係かな?
「なんだよぉー教えろよー」
「自分は何にも教えてくれないくせに」
「マモが聞かないだけじゃん?」
「聞いたら教えてくれる?」
「もちろん!」
「今何歳?」
「16歳!」
「あぁ……」
「悲しい目で見るな!」
私はお兄ちゃんについて、なにも知らない。
職業とか年齢とか、そういうの聞くといつもはぐらかす。
「土曜に来たらいいじゃん?」
実は私はもう陸上部を止めているので、休日はすこぶる暇だ。
でも土日両方潰すのはなんか申し訳ないから、会いに来るのは日曜だけにしてる。
「いや、勉強もちゃんとやらなきゃだから、来週は諦める」
「おう……偉いなぁ……よしよし」
「うにぃ……」
不意に頭を撫でられる。
本当に不思議だが、お兄ちゃんにはあまり男性恐怖症が働かない。
って言っても、あんまりベタベタ触られると無理だろうし、他の男の人は未だに近づくのも無理なんだけどね。
「あのさ……お兄ちゃんって誰にでもそんなことするの?」
「しないよ?なんで?」
「え?あの、じゃあなんで……」
「マモの頭は丁度いい場所にあるからな」
「さーわーるーなー!」
「ごめんごめん!ははっ!」
いつものマグノでこうしている時間が私の宝物。
いつまでもこの時間が続けばいいのにな。
「なぁ、マモ……」
「なぁに?」
帰りの車、来週会えないのになんでかちょっと早い時間。
お兄ちゃんのバカ……。
「いや、ちょっと寄り道していいか?」
「え?……いいよ?」
珍しい、こんなこと初めてだ。
てかもう山道だけど、どこに寄り道?
「わぁ!すっごい!」
「どう?学園より見晴らしがいいとこは無いだろうけど、ここも中々だろ?」
「いやいや!学園でもこんなのは見れないよ!」
途中で車を停めて降りた先は、一面に広がる夜景だった。
この辺は全然都会じゃないけど、それでも光る街は綺麗だった。
「お兄ちゃんやるねぇ!こんな場所知ってたんだ!」
「結構前に見つけたんだけど、今日の為に取っておいた」
「今日の為?今日なにかあるの?」
「うん、これからね?」
「え?なになに?」
私は夜景に夢中になりながらお兄ちゃんと話す。
この為にちょっと早く出たのかぁ。
くるしゅうないなあ。
「マモ……好きだ……」
「……」
あれ?
私今一瞬死んでた?
心臓って今もちゃんと動いてる?
「ずっと好きだった。初めて見た時、もっと知りたいって思った。それから遊ぶようになって、どんどん好きになってた。俺みたいなおじさんが、マモみたいな若い子にこんなこと言うの、本当は駄目なんだろうけど……でも、今言わなきゃ駄目なんだ。もう一度言う、マモ、好きだ。俺と付き合って欲しい」
「お兄ちゃん……」
「返事、聞かせてくれる?」
「私も、お兄ちゃんが好きです」
思った以上に自然と言葉が出てくる。
だって考えて喋ったんじゃない、思いが言葉になっただけだから。
「お兄ちゃん、私のこと……幸せにしてくれる?」
「うん」
その後、いつもより更に安全運転でゆっくりと学園に戻り、いつもの塀の前でバイバイした。
その間二人とも無言。
こんなことは未だかつてなかった。
付き合った瞬間から黙るとか変なの……。
まぁでも、今はただこの幸せを噛みしめたい。
そして多分、部屋に戻ったら私は死ぬのだろう。
恐らく死因はアドレナリン過多。
「そこに座りなさい」
「うん」
パパ、いつもと感じが違うな……。
私が帰ってくるだけなのに、なぜか仕事の時みたいなスーツを着ている。
あれから一週間、お兄ちゃんと会えない日曜日。
どうでもいい話だったらパパマジで許さない。
だってせっかくお兄ちゃんと付き合えて、初めての日曜日なのに……。
「パパの仕事のことは知っているな?」
「え?ママの実家の会社の重役さんでしょ?」
パパは元々ママのパパ、つまり私のお祖父ちゃんがやってる会社に勤めてて、次女であるママとお見合い結婚した時に重役になったって……。
「ま、まさか!パパ実は忍者だったり!?」
「しないわなぁ」
「ですよね?」
「そういうカミングアウトの日ではない」
「じゃあなに?」
「今度パパの会社と、とある会社が合併するんだ」
「へぇ、おめでとう?」
え?だからなに?
まさかクビですか?
って、それはないか……。
「それで、両者の関係を確実なものとする為に、お互いの社長の血筋の者を結婚させることに決まった」
「え?そうなの?だれだれ?雅子おばちゃん?」
雅子おばちゃん今年で40歳だからなぁ……神よ、そこまで彼女を追いつめてやるなよと思ってたんだ。
「……マモ、お前だ」
「……私帰ります」
立ち上がってその場を離れる。
「待て」
「待たない」
「待つんだ!」
「パパ、私好きな人がいるの」
「好きな人って!お前の周りに男なんて!それにお前はそもそも!」
「止めるなら、私はもうこの家には帰らない。パパにも一生会わない。それでも無理矢理どうにかしようって言うなら、どうなっても知らないよ……」
私はなにがあっても諦めない。
それは家族の誰もが知っていることだ。
それでもパパは私の手を掴み、無理矢理そこに座らせた。
「高杉博人さんと言ってな?少し年が離れているがいい人だ。それは私が保証する」
「それは私が決めることでしょ!?なに言ってるの!?」
「今日はその人に来てもらってるんだ。さぁ、もういいぞ?入りなさい」
「出てけ!来るな!パパ!これ以上私にパパを幻滅させないで!」
「ごめんな……マモ、私は所詮お飾りの役員なんだ……」
私の手にパパの涙が落ちる。
なんで……泣いてるのよ……。
泣きたいのはこっちなのに。
「ママ!なんで黙ってるの!?止めさせて!」
「ごめんなさい……ごめんなさい、マモ……私が産まれるのが、姉さんや兄さんより早ければ……」
ママも泣いている。
こんなの……嘘だ……。
だってさっきまでは凄く幸せで、来週もまたお兄ちゃんと会って、今度はちゃんと恋人として……。
「やだ……やだよぉ……助けてよおおお!お兄ちゃああああん!」
「呼んだ?」
「……ふぇ?」
お兄ちゃんの声がしたと思って目を開けると、そこには本当に本物のお兄ちゃんがいて……。
え?本当に助けに来てくれたの?
「で?俺は来てよかったの?それとも出ていった方がいいの?」
「はい?え?」
「いやいや、さっきマモが来るなって言ったじゃん?でもその後助けてって言ったでしょ?どっち優先?」
「あの、ちょっと待って?え?あの……」
「あ、申し遅れました、高杉博人です」
どっかで聞いたような名前。
てかさっき聞いた?
「博人君……まさか、マモと知り合いなのかね?」
「あ、そうみたいですね。実は娘さんとお付き合いさせて頂いています」
「……な、なんだって?」
「おいお前ら、全員そこ座れや!」
そしてここで私がキレた。
「つまり、博人君は半年も前からマモと会っていて、つい先週付き合い始めたと?」
「そうなりますね」
「そうなりますねじゃねえよ!なんで言ってくれなかったの!?」
「いやいや、マモがマモだって知らなかったし」
「マモマモうるせえよ!?始めっから私のことマモって言ってたじゃん!」
「おまじないって言っただろ?マモが本物のマモじゃなかったら、その時はこっちの縁談蹴り飛ばしてマモと付き合うつもりだった」
「え!?ちょっと待って!?始めっから私と付き合うつもりだったの!?」
「え?そっち?いや、初めはこんな子がマモだったらいいなぁと思って呼んだの」
「紛らわしいわ!てかマモマモうるせえ!」
「俺はてっきり許嫁の件、マモももう知ってると思ってたのに、だから俺の名前も伏せてたんだよ?」
「おい!ダメ役員!次女!お前らなんでもっと早く言わないの!?」
「ホントすいません……」
「言いづらくって……ね?」
「あの、じゃあ……その、博人……さん?」
「いつもどおりお兄ちゃんでいいよ?」
「うっ!あ、あの……お兄ちゃんと結婚してもいいってこと?」
パパとママはゆっくりと座りを整え、真直ぐ私とお兄ちゃんを見据える。
「うん、オッケーです」
「あ、じゃあ料理持ってくるわね?」
「エライ軽いな!おい!お前らさっきの件無しになったと思うなよ!?一人娘売りやがって!」
「まぁまぁ、いいじゃんか。親公認になったんだし?」
「う……」
こ、こんな幸せでいいんだろうか……。
結局私たちはあれやこれやと言う内に許嫁になってしまった。
いや、元々許嫁ではあったのだが。
でも実際結婚するのは私が学園を卒業してから。
まだ後二年以上もある。
その間でも子供が出来ちゃったら、結婚してもいいとか言ったパパには、本気の蹴りをプレゼントした。
そんな夜の帰り道、車でお兄ちゃんに学園に送ってもらっている。
時刻はいつもと同じような時間になった。
少し違うのは今日は校門から入れるということ。
ちゃんと許可取って出てきてるからね。
「いやぁ、今日はホントドキドキしたわぁ」
「なんでお兄ちゃんがドキドキするのよ」
「だってなぁ、マモがマモである確率なんて、本当に低かったんだぞ?」
「またマモマモ言ってるし……」
「でも信じてた」
「本当に?」
「あの日、俺がマモを助けたのは運命なんだって」
「今日、私よりずーっと可愛い子が許嫁として出てきても、私の所に帰って来てくれた?」
「なに言ってんの?マモより可愛い生物なんて、物理上存在しないよ?」
「ば、ばか……」
「マモ……」
「……え?」
急にお兄ちゃんの顔が近づいてくる。
これってまさか……?
「ぁ……い、いやっ!」
「え!?……マモ?」
「あ……れ……?」
なんで?
私、嬉しいはずだったのに。
お兄ちゃんとキスするの、何度も想像してニヤニヤしてたぐらいなのに……。
なんで今、私……。
「もしかしてマモ……」
「いや!ち、違うの!私本当にお兄ちゃんのこと!」
「いやいや、分かってる!大丈夫!そうじゃなくて」
「な、なに?」
「男性恐怖症……」
「あ……そう……なの?でもお兄ちゃんなら……」
「嬉しいことに俺なら近づいたり話したり、あまつさえちょっと触るぐらいなら大丈夫だけど、そういう行為はそれでも駄目なのかも……」
「そ、そんな……それじゃ私……」
このままじゃ……お兄ちゃんに嫌われちゃう?
「な!治すから!ちゃんと!男性恐怖症!」
「うん、治すね?」
「うんうん!頑張るから!だから!あの……」
「俺はたとえ一生キスが出来なくても、マモを愛し続けると誓うよ」
「は……ふぅ……」
「ま、メッチャしたいけどね?」
「な、なな……」
お兄ちゃん最近アグレッシブが過ぎる。
多分今私体温40℃ぐらいある。
「じゃあ明日から放課後迎えに来ます」
「……は?仕事しろよ?」
「いやいや、仕事だし」
「明日は月曜日でしょ?平日は仕事なんでしょ?」
「そうだよ?だからおいで?」
「馬鹿なの?」
「医者に馬鹿とは何事だ」
「……え?お兄ちゃんお医者さんなの!?」
「うん、実は医者だよ?」
「うっそ!?メス!」
「はい……って渡す方は多分看護師さんだからね?てか俺精神科医だからメスいらね」
「精神科医……じゃあ!」
「マモの男性恐怖症、俺が治してあげるよ」
私は何回この人を好きになれば気が済むんだろう。
その日は中々寝付けなかったのは言うまでもない。
「と言う訳で、来ましたよ?お兄ちゃん先生」
「俺が迎えに行ったんだから知ってますよ?マモ患者」
お医者さんって聞いてたから、大きな病院とかをイメージしてたけど、実際はビルのテナントの一つにあるクリニックだった。
しかし名前は高杉メンタルクリニック。
ちゃんとした医療機関だ。
「迎えに来てもらっちゃったけど、お客さん待たせたりしてない?大丈夫?」
「今日の診察はもう終わったから大丈夫だよー」
「そうなんだぁ……」
「あのさ……なんでさっきから受付睨んでるのかな?」
「さっきまでいた受付の人、美人だったなと思いまして」
「そうでしょ?」
「死んどくか?」
「あれ俺の妹だからね」
「え!?ちょっ!なんで言ってくれないの!?メッチャ睨んじゃったじゃん!」
「その方が面白いから!」
「本物の妹の前でお兄ちゃんとか言って甘えちゃったじゃん!」
「それは非常に面白かった!」
「もう!」
お兄ちゃんの意地悪……。
「じゃ、診察室へごあんなーい」
「ここ?わぁ!凄い!凄い普通!」
「感想無いなら無理に言わなくていいよ?」
「はぁーい」
「じゃあ座って?」
「うん、じゃあ始めるね?あなたは自分が子供しか愛せなくなった原因に、心当たりがありますか?」
「いえ……それがまったく……」
「ストライクゾーンが実は小学生と言うのは事実ですね?」
「ストライク人生アウトです……って!俺はロリコンじゃない!」
「私のこと好きな人はもれなくロリコンです」
「自分で言うの!?」
「じゃあお兄ちゃんって実は私の身体には興味無いの?」
「……どう答えたら正解?」
「精神科医なら余裕でしょ?」
「精神科医は心理学者じゃないんだから……」
「私に……その……エッチなことしたいって思う?」
「お、思うよ……普通に……」
「診断の結果、ロリータコンプレックスが確定しました」
「ちきしょう!」
「じゃあさ……私頑張って治す」
「マモ……」
「お兄ちゃんに喜んでもらいたい」
「でもな?無理に頑張ったり、急いだりするのは駄目だぞ?」
「うん」
「そういうのは逆効果だからな?いい?」
「わかった、死ぬまでには治す」
「出来れば成人までには治そうぜ?」
「えぇ?メンドイ……」
「よ、よし……その意気だ……」
この日から私とお兄ちゃんとの戦いが始まった。
毎日カウンセリングの名目でデート……いや、努力を重ね、お兄ちゃん相手に接触によるリハビリと称したイチャイチャ……いや、治療を続けた。
しかし結果は芳しくない。
実験の結果、性的な部分に触れようとしたりする行為全般が駄目らしいことが分かったぐらいだ。
「もう1月も終わっちゃうね」
「早いな、あれから三か月も経つのか?」
「毎日頑張ってるけど、あんまり上手くいかないね……」
「仕方ない……奥の手を出すか……」
「え?なになに?ショック療法とか言って無理矢理とかは無しね?」
「まさか、でもそれより荒唐無稽かもよ?」
「なんなの?」
「催眠療法さ」
「催眠?あなたは眠くなーる?」
「あながち間違ってはいない」
「そんなの出来るの?」
「実は俺、その道では結構な権威なんだぞ?」
「そうなんだぁ……じゃあ始めっからしてくれたらいいのに」
「でもな?催眠療法って難しいんだ。気軽に出来るもんじゃない」
「そうなの?」
「その人の無意識下に呼びかけて話を聞いたり、こちらの指示を聞いてもらったりするものなんだけど、それって悪用したり、副作用が出たりすることもあるから……」
「悪用って言っても、どうせ私はお兄ちゃんのモノなんだからいいんじゃない?」
「いや……」
「照れるなよ28歳」
「年のことは言わないで?」
「それで、副作用ってなんなの?」
「変な所で催眠時の指示が出たり、最悪脳を傷つけて記憶障害を起したりするケースも……」
「お兄ちゃんなら大丈夫なんでしょ?」
「最善を尽くす。マモはこの世で一番お姫様だからね」
「私はお兄ちゃんを信じてるから、思うようにやっちゃって?じゃ、寝まーす」
「待て待て、順序とかあるから……」
お兄ちゃんはアロマを焚いたり音楽を流したり、映像を見せたりと忙しそうだ。
でもなんか今日は疲れたな……お兄ちゃんには悪いけど……瞼が……勝手に……。
「マモ?」
「あぅ……お兄ちゃ……おはぉ……」
「気分はどう?」
「はぅ!あ!寝てた!」
「うん、知ってた」
「ごめんね!?」
「いや、てか催眠療法のこと覚えてる?」
「あぁ、そうか……って!成功!?本当に寝てた!」
「あ、その顔……信じてなかったな?」
「いやいや、信じてたけど実際やられるのは違うじゃん?凄いねぇー!で?もう大丈夫なの?」
「いや、行き成りは無理だよ。今日はマモの記憶を覗かせて貰っただけ」
「にゃっ!?え!エッチいい!」
「いや、男性恐怖症に関する記憶だからね?」
「知ってるし……で?なにか分かった?」
「周りの人間から執拗に男性のマイナスキャンペーンが行われていたこと、それと実際の男性との交流の少なさが主な原因だね」
「女子校の弊害以外の何物でもない、まずは学園を訴えよう」
「金をふんだくろうとしないでね?」
「えぇ?チャンスはモノにしなきゃなのに?」
「はいはい、話は車の中でね?」
「えぇ?もう帰っちゃうの?」
「そろそろ時間だろ?」
「ぶー!」
「また明日迎えに行くから、ね?」
「うん、分かった」
そして私は勝手知ったる車に乗り込む。
しばらくして校門前に到着。
お兄ちゃんと少し話してから車が去るのを見送る。
「さて、帰りますか……」
名残惜しさを感じながらも、我が家である寮へ向かうために校門の方へ振り向く。
守衛さんが門を閉じる準備をしている。
時間も遅いし、私が最後の生徒なのだろう。
まぁ外出者がそもそも少ないのだが。
「お疲れ様でーす」
守衛さんはこの学園唯一の男性である。
門番である守衛さんだけは、腕っぷしで押し切られぬよう男性が採用されているらしい。
その他の職員は、寮長や購買のおばちゃんなど、すべての施設の関係者が女性で構成されている。
まぁ普段は門まで来ることもないし、守衛さんといえど門の周辺のみが行動範囲とされているので、学園の内部で見かけることがあれば、即通報の後解雇である。
とはいえ私は頻繁にこの門を利用することになったので、顔なじみと言えばそうなのだが、如何せん男性恐怖症が邪魔してロクに顔も見れていない。
今日も顔を見ることなく形だけの挨拶をこなし……。
「未来のゆで卵」
「え?」
守衛さんに話しかけられた?
今まで話しかけてきたことなんて無いのに……。
てかなんて言ったの?
「あの……」
あれ?瞼が急に重く……。
こんな所で寝た……ら……。
「ほ、本当に成功した……へ、へへっ!」
目の前には夢にまで見た女子高生が倒れている。
しかもただの女子高生ではない、どう見ても小学生にしか見えないその子は……。
あの!あの鶴ケ谷マモちゃんなのだ!
「こんな日を……ずっと待ってたよ?」
そう、あの日からずっと待っていた。
僕はマモちゃんの頬を撫でながら鼓動を高めていく。
「覚えてる?初めて会った時の事……」
運命的な出会いだったよね?
僕がたまたま立ち寄ったマグノで、君は僕のことを待っていてくれたんだ。
あの時はあんまりおしゃべり出来なかったけど、僕らの愛はあの瞬間にすでに完成していたと言っても過言じゃない。
「それを……」
頬を撫でる手に力が入っていく。
爪を立て、綺麗な頬に掻き傷が残る。
「あいつが邪魔したんだよね?」
パンっ!
乾いた音が響き、マモちゃんの頬に赤いモミジが残こる。
女性に、いや人に暴力を振るうのは初めてだ。
なんていい気分なんだろう……。
「こんなことしても起きないんだ?へへ……僕の初めて、マモちゃんにあげちゃった……」
今日急遽ここの守衛の番を変わってもらって正解だった。
本当は僕の当番ではなかったが、病院での様子を見ていたらついすぐにでも試したくなっちゃって、ここの当番の奴に頼んで変わってもらったんだよね。
「これも愛のなせる技……ふへへっ!」
そう、僕らはすでに愛し合っている。
だって僕はずっと見ていたから。
マモちゃんがあいつに騙されて、あちこちいいように連れまわされていた姿も、学園内での生活も……寮での姿も着替えもお風呂もトイレもぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ!
「だから今日もずっと見てたんだ……あの男が変な魔法でマモちゃんに変なことしようとしてた所も……」
あの変態、こともあろうかマモちゃんに変な魔法を掛けたんだ。
急に眠らせたと思ったら、色々聞き出して……。
マモちゃんが言いたくないことだったのかもしれない、それなのにあいつはマモちゃんの中を土足で……。
その場でぶっ殺してやりたかったが、マモちゃんに危害が出たらいけない。
だからじっと我慢してたんだよ?
「おかげで足が血だらけだよ?ほら……」
僕はズボンの中に手を入れて、右の太ももに触れる。
抜き出した手は血に染まっており、それをマモちゃんの頬の傷に塗る。
「ずっと爪を立ててたら、凄く血が出ちゃったよ?痛かったよ?ねぇ?マモちゃん?」
マモちゃんは返事をしない。
あいつには返事をしたのに……。
「返事しろよ!」
ついついまた頬を叩いてしまう。
でもこれも愛ゆえの行動だから、マモちゃんも嬉しいに違いない。
「……はい」
「うわっ!」
急に返事をされたから驚いて後ろに転んでしまった。
でも返事をしたってことは、僕の想いがあいつの魔法を打ち破ったってことだよね?
「マモちゃん……もう大丈夫だよ?僕が来たからもう君は安心していいんだよ?」
「はい……安心……する……」
よかった、マモちゃん僕の事分かってくれてる。
「あいつ、高杉博人は危険だ……あいつマモちゃんを……僕のマモちゃんを盗ろうとしてる!」
「高杉博人……危険……」
「そうだよ!あんな男を信用したらダメだ!でももう大丈夫!僕がいるから!ね!?」
「あなたは……誰……?」
「な、なに言ってるの?僕が分からないの!?」
「知らない……」
「そんなことない!ちゃんと目を開けて見て見ろよ!」
マモちゃんの首元を掴んで首を揺する。
マモちゃんは数秒してから目を開けて、しっかりとこっちを見つめる。
あぁ、あの日から合うことのなかった僕らの目線が、今日やっと交わされるんだね?
「知らない……あなた……誰……?」
「くうううう!」
パンっ!パンっ!パンっ!
「僕はお前の恋人だろ!?僕は古賀玉五郎だ!」
「こけ……や……たま……ごろ……こいび……と……」
「そうだ!お前の恋人!ふざけんな!この!この!」
パンっ!パンっ!
幾度となく頬を叩き、顔が腫れてしまっている。
「はぁ……はぁ……あぁ、ごめんね?ごめんねマモちゃん……」
赤くなった頬を撫でながら、心を込めて謝罪する。
「でもマモちゃんが悪いんだよ?恋人の僕の事忘れちゃったりするから……」
僕だってこんなことしたくないのに、マモちゃんのせいでこんな酷いことを……。
「謝って?マモちゃんもちゃんと僕に謝ろう?忘れててごめんなさいって言おう?ね?」
「わすれ……てて……ごめ……なさ……」
「うん!うん!いいんだよ!?許してあげるから!」
あぁ、やっと会えた二人だけど、このままじゃ拙いよね?
「今日はもう時間が無いね?だからお話は明日にしよう?」
「おはな……し……あし……た……」
「今日は誰にも見られないように帰って、そのままベッドに潜りこんで?顔を見られないようにしてね?そのまま明日も気分が悪いって言って学校を休むんだ。そうしたらきっと、僕が会いに行くからね?わかった?」
「はい……」
「えへへ……」
やっぱりマモちゃんは僕のことが好きなんだ。
「過去の直角」
確かこれを言ったら目が覚めるんだよね?
「う、うぅ……」
やっぱり。
このままじゃマモちゃんもビックリしちゃうかもだし、隠れといた方がいいかもね。
僕は物陰に隠れてその姿を見守る。
あの魔法にかかっている間は、記憶が無いみたいだし……。
僕との約束覚えててくれるのかな?
でも、僕は明日きっと会いに行くよ。
それまでは僕の秘蔵のマモちゃんコレクションで、タップリ予習しておくね?
ふふふ……ふふ、ふひひひひひひひひひ!